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杉田 直樹

ヴァイオリン売買のコンサルタント

杉田 直樹 すぎた なおき

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事例・コラム

2018/10/01 14:26

日本人とヴァイオリン~その黎明期を探る (その5)

5. 政吉時代~町のヴァイオリン需要

愛知県岡崎市能見町(旧額田郡岡崎能見町)に江戸中後期から戦前まで続いた杉田屋呉服店は、愛知の郷土史にも登場する豪商で、杉田清兵衛(初代・杉田家清蔵)に始まり、2代、3代清蔵へと繋がる。私の曽祖父の父が3代清蔵で、拙宅の過去帳にも記録されており、写真も残っている。曽祖父である熊太郎は当主であって、4代清蔵を襲名していない。呉服店の実権はその弟が握ったとされ、曽祖父・熊太郎については自身、ほとんど聞かされていない。ただ、その妻であり、旧士族平田家から嫁いできた、曽祖母・いと (明治7年~昭和26年・1874~1951)については、父や、私の祖母から様々な話を聞いている。杉田いと は、箏曲の師範代で相当な腕前だったということである。拙宅には今でも、家紋入りのお琴が保存されている。いとは、豪商の名残のある杉田屋の屋敷で、国風音楽講習所という看板を掲げ、琴、三味線の稽古をつけていたようである。そして、その発表の場で撮影された集合写真に、幾度も登場するのがヴァイオリンである。使用していたと思われるヴァイオリンの楽譜も一緒に保管されていた。いとが嫁いできた年が明治26年(1893年)であり、ちょうど鈴木政吉がコロンブス世界博で受賞した年である。拙宅に残る写真を分析して行くと、前後関係から、上から2枚目が明治晩年から大正元年頃(1908~1911頃)、3枚目が大正6~7年(1917~1918頃)だろうか。ヴァイオリンの楽譜の出版年はこの第3刷が大正4年(1915年)となっている。亡き祖母や父によれば、戦時中に呉服店は看板を降ろし、現在の居住地岡崎市井田町 (現ヴィルトゥオーゾ本社のある敷地)に移住したようである。幼少期の父は、蔵の中に沢山のヴァイオリンがあったのを記憶しているという。これらから、箏曲師範であった いと が、専門の和楽器のみならず、ヴァイオリンも合奏に取り入れ、時に子女たちに教えていたということが想像できる。まさに鈴木政吉によってヴァイオリン文化が日本に花開いて行く様と合致するのである。