• スクール・趣味
の専門家

杉田 直樹

ヴァイオリン売買のコンサルタント

杉田 直樹 すぎた なおき

株式会社ヴィルトゥオーゾ

お問い合わせ
株式会社ヴィルトゥオーゾ
052-569-1801

対応エリア

  • 名古屋
  • スクール・趣味

事例・コラム

2018/10/01 14:26

日本人とヴァイオリン~その黎明期を探る (その6)

6.世界最大のヴァイオリン工場へ

政吉の明治30年代の大きな功績について、鈴木バイオリンのホームページにはこのように綴られている。
「第一は、バイオリン頭部の自動削り機(渦取機)の考案及び完成。さらに二年後には甲削機(表板と裏板に丸みを持たせる加工)の発明。
第二は、本格的工場の建設。住宅まがいの作業場から近代式工場へと脱皮。
第三は、パリ万国博にて政吉のバイオリンが銅賞を受賞。
以上の壮挙を期に、政吉は事業飛躍の体制を樹立し、念願のバイオリン大量生産のはじまりとなったのでした。」
そして、大正3年(1914)に第一次世界大戦が勃発し、ミッテンヴァルト、マルクノイキルヘンを抱える世界のヴァイオリン工場ドイツではその機能が停止し、政吉の楽器は世界中から注目され、注文が殺到したのである。
政吉は量産体制を確保するとともに、なおも研究姿勢を崩すことなく更なる品質向上に努めていき、それが歴史に残るバイオリン製造最盛期につながっていく。鈴木バイオリンのホームページ記載では、
「最盛期の従業員は1000名を越え、毎日500本のバイオリン、1000本以上の弓が量産され、 輸出のみで年間に10万本のバイオリン、 50万本の弓を記録しました。
また、4系列・27品種のバイオリンを筆頭にビオラ以下の新器種は全て数品種を揃え、それだけにとどまらず、マンドリン、ギターも製造しました。 あわせて、弦楽器53種、弓23種、ケース13種の多岐にわたるまでになっていました。 」とある。
一方、鈴木政吉研究の第一人者である、愛知県立芸術大学の井上さつき教授によって、政吉晩年の本人作の完全手工ヴァイオリンが近年脚光を浴びている。井上教授の著書「日本のヴァイオリン王 - 鈴木政吉の生涯と幻の名器」(中央公論新社) に詳細があるので是非お読みいただきたい。
(政吉の名刺の画像は https://blog.goo.ne.jp/1971913/e/2d04073df1e4a7609548d105b06d5207 より)