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杉田 直樹

ヴァイオリン売買のコンサルタント

杉田 直樹 すぎた なおき

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事例・コラム

2018/10/01 14:26

日本人とヴァイオリン~その黎明期を探る (その7)

7. 政吉の完全手工ヴァイオリン

現在確認できる政吉本人作のヴァイオリンは、井上教授とクレモナのヴァイオリン製作家松下敏幸氏鑑定により、現皇太子浩宮様が高松宮様から譲り受けた1926年製と、尾張旭の松浦正義さんが父から譲り受けていた1929年製(現愛知県立芸大所有)、そして前出の安藤幸の孫に当たる方が所有していた1926年製のわずか3挺とされる(最初期の試作を除く)。私も弊社で調整を承った折と、昨年の東京弦楽器フェア特別ブースでの展示を拝見した。
政吉が自作楽器を製作したきっかけは、おそらく長男・梅雄の1920~21年(大正9~10年)の欧米視察であったであろう。後継者としての梅雄への信頼と安心もあってか、齢60を越えた政吉は、そこから得た情報をもとに新たなチャレンジを試みたと考えても良いであろう。とりわけ、三男でヴァイオリニスト、音楽教育者の鎮一(スズキメソードの創始者、安藤幸の弟子)が入手した伝グァルネリウスに政吉は大きな衝撃を受けたようだ。200年を経てなお輝かしい音を出す名器、時代を経て後世に受け継がれていく価値観を政吉はこの時初めて知ったのかもしれない。政吉はその楽器の研究に明け暮れ、後世に遺す名器を作ることに没頭していったということである。実際に、1926年(大正15年)、梅雄と鎮一は政吉の作品を持って、ドイツの製作家らを訪問している。ドイツでの評価は上々であったと伝えられている一方で、息子たちのもたらしたさらなる情報により、イタリア製とりわけクレモナの銘器の持つ製作の秘法、クレモナの謎、「音」を追求した製作についてさらに探究心を深めていく。このことは、後に政吉が大府に開いた「済韻研究所」設立(1935年・昭和10年)にあたって、自身が口演したテキストが現存しており、その中にこれらの言葉を読み取ることができた。現存ヴァイオリンは、その過程で製作されたものと言える。そしてそれらの楽器は「済韻」と名付けられた政吉の理想の音を奏でる楽器の試作品であったとも言える。鈴木バイオリンには1939年作のSAIIN ブランドが一つ保管されている。これが政吉の考える鈴木バイオリンの最高級かつ完成形だったであろう。しかし、戦火が激しくなる中、活気ある製作は難しかった。1944年(昭和19年)の政吉永眠と同年、楽器製作の全面廃止となり、ときは戦後復興の時代へと続く。