2018/10/01 14:27
11. 製作年は1899~1903年
鈴木バイオリンの保管資料が戦争などで紛失しているものもあり、使用したラベルの変遷について正確には知ることができなかった。私の所見では、この楽器の製作年代は1899~1903年。鈴木バイオリン資料ではNo.6の製作は1907年~という年譜が見られるが、どうやら1907年からしか資料がないためで、それ以前から製作されていたらしいことを確認した。私が着眼したのは、その後に見られるラベルの受賞メダルの象りで、多くの博覧会のメダルのデザインが並ぶ。このように博覧会での受賞は誇示するものであるが、当該楽器は1890年~1895年の3つの受賞しか誇示していない。この後、大きな歴史的受賞と言えるのは、1900年パリ万博銅賞、1903年内国勧業博覧会銀牌であり、いずれも、より受賞歴を記したいはずである。もちろん頓着なくラベルデザイン切り替えが後年になってからということもあり得るが、少し違和感を感じる。やはり、1900年前後の楽器であると考えた方が良さそうである。このことには鈴木バイオリンの工場長も同意された。また、川出朝子の娘時代、井本家で購入したであろう年頃にもどうやら合致はしそうである。
前出の鈴木バイオリン保管の1890年(明治23年)のヴァイオリンは、パフリングは描画だけで、実際にはパフリング材は入っていない。まだまだ製品というよりは試作の要素が強く感じられる印象である。10年を経た1900年頃というのは前述の鈴木バイオリンの社史にある「明治30年代の大きな功績」の時代を指す。製品の完成と供給がいよいよ成ったという時代である。この楽器はまさにその時代のもので、政吉本人の完全手工製作への興味深さとは別に、良品量産を目指したこの時代のヴァイオリンもまた、政吉の思いが育んだものであり、その初期の信念を感じるものと言える。とにかく時代が古いのである。
加えて、一緒に見つかった弓は当時のラッピングが綺麗に残っており、鈴木バイオリンにあった資料と合致したことに嬉々とした。政吉の弟子で、現在の杉藤楽弓社の創始者、杉藤鍵次郎(1862-1920)の作であろう。スズキと同じ名古屋の地で、100年以上も弓作りを手がける杉藤楽弓社も5代目となり、これまでに日本のヴァイオリン文化に大きな貢献をしてきたことに敬意を表したい。