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杉田 直樹

ヴァイオリン売買のコンサルタント

杉田 直樹 すぎた なおき

株式会社ヴィルトゥオーゾ

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事例・コラム

12. 音の再現、名古屋で来年2月、森悠子を音楽監督とする長岡京室内アンサンブル名古屋公演が開催される。今、私が、演奏会に先立つロビー演奏を企画している。そこで弾いていただくのが、このおばあちゃんのヴァイオリンだ。百余年の眠りから覚め、誕生地名古屋でどんな音が孫娘によって奏でられるのか楽しみである。森さんは、6歳から鈴木メソードでヴァイオリンを始め、その後、相愛音楽教...[ 続きを読む ]

11. 製作年は1899~1903年鈴木バイオリンの保管資料が戦争などで紛失しているものもあり、使用したラベルの変遷について正確には知ることができなかった。私の所見では、この楽器の製作年代は1899~1903年。鈴木バイオリン資料ではNo.6の製作は1907年~という年譜が見られるが、どうやら1907年からしか資料がないためで、それ以前から製作されていたらしいことを確...[ 続きを読む ]

10. おばあちゃんのヴァイオリンの発見ここで、日本の演奏文化発展を担ってきたヴァイオリニストと、鈴木バイオリンを結びつけた最近のエピソードを紹介したい。一昨年、ヴァイオリニストでフランス政府芸術文化勲章受章の森悠子さん(1944年大阪府高槻市生まれ)の祖母、川出朝子さん(以降、朝子)が使っていたと思われる鈴木バイオリンが、愛知県の小坂井(現在の豊川市) の川出家家屋...[ 続きを読む ]

9. 後世の日本のヴァイオリン製作少し、話は逸れるが、政吉からわずか遅れる時代、日本を代表する製作家として認知されていたのは、宮本金八(1878~1970年・明治11年~昭和45年)である。彼も大正から昭和にかけての日本のヴァイオリン製作の草分けである。文献資料も乏しく、師匠不在の時代に独学でヴァイオリン製作の技術を習得したのは政吉同様である。彼の楽器は、ハイフェッツ...[ 続きを読む ]

8. ヨーロッパとは違う、政吉のヴァイオリン作りのはじまりさて、ここで政吉の作り上げた名古屋を発祥とし、世界一の規模を誇ったスズキ・ブランドとドイツのマルクノイキルヘン、ミッテンヴァルト、フランスのミルクールが大量生産に至った過程の大きな差に着目してみたい。これらヨーロッパ各地のヴァイオリン作りの街の繁栄は、先にマイスター、マスターと呼ばれる製作の大家が、古くは17-...[ 続きを読む ]

7. 政吉の完全手工ヴァイオリン 現在確認できる政吉本人作のヴァイオリンは、井上教授とクレモナのヴァイオリン製作家松下敏幸氏鑑定により、現皇太子浩宮様が高松宮様から譲り受けた1926年製と、尾張旭の松浦正義さんが父から譲り受けていた1929年製(現愛知県立芸大所有)、そして前出の安藤幸の孫に当たる方が所有していた1926年製のわずか3挺とされる(最初期の試作を除く)。...[ 続きを読む ]

6.世界最大のヴァイオリン工場へ政吉の明治30年代の大きな功績について、鈴木バイオリンのホームページにはこのように綴られている。「第一は、バイオリン頭部の自動削り機(渦取機)の考案及び完成。さらに二年後には甲削機(表板と裏板に丸みを持たせる加工)の発明。第二は、本格的工場の建設。住宅まがいの作業場から近代式工場へと脱皮。第三は、パリ万国博にて政吉のバイオリンが銅賞を受...[ 続きを読む ]

5. 政吉時代~町のヴァイオリン需要愛知県岡崎市能見町(旧額田郡岡崎能見町)に江戸中後期から戦前まで続いた杉田屋呉服店は、愛知の郷土史にも登場する豪商で、杉田清兵衛(初代・杉田家清蔵)に始まり、2代、3代清蔵へと繋がる。私の曽祖父の父が3代清蔵で、拙宅の過去帳にも記録されており、写真も残っている。曽祖父である熊太郎は当主であって、4代清蔵を襲名していない。呉服店の実権...[ 続きを読む ]

4. 「マサキチ・スズキ」ブランドとしての発進彼の凄さは、その熱心な研究心であった。1作目を作った後、短期間で2作目、3作目を製作しており、これらも歴史的な資料として現存している。そこには顕著な進歩を見て取れるのだが、明治23年(1890年)に東門前町に仕事場を移した頃には、未完とはいえ、ほぼドイツのマルクノイキルヘンで生産されたような雰囲気を持つものが出来上がってい...[ 続きを読む ]

3.鈴木政吉 ヴァイオリンとの出会い政吉は江戸幕末期、安政六年(1859年)に現在の名古屋市東区に生まれる。尾張藩士であった父正春の家禄は乏しく、禄で生計をたてるのは困難だったため、 内職として琴・三味線作りで家族を養っていた。明治維新という大きな政変による身分の変化と貧窮から、いつしか父の内職は家業となり、政吉もそれを手伝うことになる。その後、東京浅草の塗物商の奉公...[ 続きを読む ]